No 9 2006年5月 八丈島クルージング

5月の1ヶ月間休みが取れることになり、八丈島への往復航海を行うことにした。

 

八丈島は本州最南端の潮岬から東へ約200マイルの所にあり、この間に立ち寄れる島はない。

潮岬の沖合いから東に向かって黒潮が流れており、潮岬から八丈島へ直線コースを引くとほぼ全体が黒潮流の上となる。黒潮の速さは2~5ノットもあり、ヨットの航海速力がせいぜい5~6ノットであるのでその影響はヨットにとっては強烈である。

出発は潮岬の先端にある串本漁港とし、目的地は八丈島の西側にある八重根漁港とした。

往路は八重根漁港への直線コース上を走ることにし、復路は八丈島を出て直ぐに黒潮を横断し黒潮の影響が無い本州寄りを走ることにした、黒潮を考慮して往路は平均で船速7ノット、復路はその半分の3.5ノットとして計画し往路は約30時間、復路は60時間と見込んで計画を立てた。

八丈島往復航海の結果

年月日 出港 入港 航海時間 距離M
港名 時刻 港名 時刻
2006/05/05 泉大津 07:00        
2006/05/06     串本漁港 06:40

21:20

100
2006/05/12 串本漁港 06:00        
2006/05/13     八重根漁港(八丈) 19:00 37:00 200
2006/05/21 八重根漁港(八丈) 06:00        
2006/05/23     串本漁港 10:00 52:00 200
2006/15/25 串本漁港 02:00 泉大津 21:00 19:00 100
        合計 123:00 600 
エンジン運転時間:149  消費燃料(リッター):270

 燃料消費率(リッター)

 航海時間当たり:2.1 エンジン運転時間当たり:1.8

 航海距離1マイル当たり:0.5

八丈島往復航海の航跡

潮岬

遥かなる昔、紀伊半島の南に小さな島があった。島をめぐる波は,悠久の歳月をかけて砂を運んだ。やがて島と陸地は出会い、潮岬半島が誕生した(観光パンフレットより)。

この本州最南端の岬の沖合いを黒潮が流れており、時にはぶつかるように接近することがある、訪れた時がちょうどそのときであった。

潮岬灯台(観光タワーより望む)

東経135度46分、北緯33度26分


串本漁港

串本漁港は本州最南端の潮岬の根元の東側に位置していて、有名な串本節で「ここは串本 向かいは大島 中を取りもつ巡航船」と歌われている、現在は大島との間には橋がかかっていて巡航船は無くなっている。

橋の桁下は21mあり「空海」は通過することができた。

 

今回は漁港内の北防波堤の内側の東隅(33°28.177N、135°47.143E)に停泊させてもらった、500mほど歩けば温泉風呂、コンビニがあり便利であった、JR串本駅までは約1kmである。

 

八丈島へ出発する前の天気待ちで6日、帰着後の休息に2日、合計8日間をここで過ごすこととなった。

串本漁港(和歌山県HPより転載

串本漁港停泊中の[空海]


串本出港

串本には5月6日の早朝に到着したが、その後の天候が悪く次々と前線が通過し雨の日が多く、天気待ちの状態が続いた。

5月11日の7時ごろ風雨が強くなり、その後11時ごろには薄日が射しだした、前線が通過したと見て、翌12日の朝、晴れているのを確認して串本を出港し八丈島を目指した。八丈島へは13日の12:00頃に到着する目算で、次の前線が来る前には到着できるであろうという思惑であった。


トラブルその1

串本を出ると直ぐに黒潮の流れに入ったようで北の風8m、2m前後の波の中を進んでいった。黒潮の流れとその流れ方向に真横から吹く北風により出来る不規則な嫌な波であった、突然に数メートルの波が現れることもある。メインセールは上げずにジブセールのみで機帆走した。

このような状況の中、夕方に風向きが東の方に回ってきたので、タックをしたときにトラブルが起きた。それまで引いていた右舷側のジブシートのエンドの結びが解けていたために、ジブシートがガイドローラーを抜けて左舷側の風下側に流れて海中に落ちてしまった。

直ぐにシートを引き上るか、エンジンを停止させておけば問題はなかったのであるが、波に翻弄されているので波の様子をみながら回収しようとしている内に、シートがスクリューに巻き込まれエンジンが停止してしまった。

しまったと思ったがあとの祭りである、右舷側のジブシートは切れずにスクリューに巻き込まれて張った状態にあった、引いてみたがビクともしなかった。

すでに周囲は暗くなりかけており、波も相変わらず悪く、水中に入りスクリューに巻きついたシートを外す作業が出来る状態ではなかった、夜明けまではジブだけで帆走することにした、なお、メインセールを上げるためにはマストのところで作業しなければならず、波に翻弄されているときは危険なので作業しないことにしている。

しばらくして、パイプレンチを積んでいることを思い出し、パイプレンチでエンジンとプロペラシャフトのカップリングフランジ部を掴み戻す方向に回してみると僅かに手ごたえがあった。次にジブシートをウインチでテンションをかけた後に再びプロペラシャフトをパイプレンチで回すと少しシャフトが戻った、この作業を繰り返した。徐々にシャフトの戻り代が増えて行き終にシートが外れ、シャフトが自由に回転するようになった。エンジンをかけてクラッチを入れると正常に運転できピンチを脱出することができた、コックピットとエンジンの間を何度往復したか記憶にないがトラブル発生からピンチ脱出まで約3時間かかった。

トラブルその2

ライフラフトが落水の危機に直面した。ライフラフトは右の写真に示すように、マスト前方のデッキ上に置き、ロープでハンドレールに縛り付けていた。これは2004年に沖縄往復の航海をしたときも同じであり、これまで問題はなかった。夜半にワッチのため、キャビンから頭を出し、前方を見ると、左舷側に半分ずり落ちているライフラフトが目に入った。このときは、風が前に回っていてジブセールを巻き込み、機走中であった、波の状況は相変わらず悪く船体は激しくピッチングとローリングを繰り返していた。片手は自分の身体を確保するために使わなければならないので、他方の片手のみでライフラフトをジリジリと移動させてコックピットに取り込んだ。火事場のくそ力というが、40Kg近いライフラフトを激しく揺れる船上で片手だけ使いよく回収できたものだと我ながら感心した。事故の原因は左舷のハンドレールを船体に取り付けるタップ4本が船体の動揺によりライフラフトから受ける衝撃荷重に負けて抜けてしまい、それに縛り付けていたロープが緩み、ラフトが踊りだしたためであった。

この回収劇には約1時間を要した。


行方不明

海上保安庁が運用しているジャスレップに平成17年4月1日から電子メールで参加することが可能となっている。携帯電話の電子メールが使用できるので、串本→八丈の間を参加することにした。ジャスレップでは24時間以内に次の通報を行うのが原則であることは承知していたので串本出港時の通報で次の通報は30時間後である旨注記したレポートを出した。

後で分かったことであるがレポートはコンピューターで処理されていて、30時間後と云う注記は無視されていた。

そのために、串本で通報してから24時間後の13日の午前6時の時点で自動的に「空海」が行方不明艇になってしまった。

海上保安庁は捜索を開始し自宅や泉大津マリーナに問い合わせをすると共にアマチュア無線の「オケラネット」にも問い合わせを行い、ネットが「空海」の呼び出しを行うという大騒ぎになってしまった。

航空機も出して捜索したが曇りであったため発見できなかったそうである。15:00頃に捜索に当たっていた水産庁の調査船「第26福吉丸」が「空海」を発見し接近してきた、八丈島まで約20マイルの地点であった。

「第26福吉丸」は保安庁の指示があるということで八丈島まで伴走してくれた。八重根漁港に近づいたときには日はとっぷりと暮れて真っ暗であったので「第26福吉丸」の案内は助かった。

今回の行方不明騒ぎで関係者に多大な迷惑をかけてしまい、大変申し訳なく思っている。

ジャスレップは船舶の安全な航行に対して有効なものであるが、通信手段が貧弱なプレジャーボートの場合は今回のような問題が生じる可能性が大きい、弾力的な運用は出来ないとのことなのでプレジャーボートで参加することは残念ながら難しいと思われる。

ジャスレップ(JASREP)とは、日本の船位通報制度(Japanese Ship Reporting System)の略で、船舶の位置に関する情報を航行中の船舶からの通報(航海計画、位置通報、変更通報、最終通報)を受けてコンピューターで管理し、通報を行った船舶の安全を監視すると共に、万一の際には付近を航行している船舶を検索し、救助の要請を行うなど海上における人命・財産の救助に大きく貢献しています。

海上保安庁では、前回の通報後24時間以上経過しても、位置通報または最終通報がないときは、海上保安庁からの呼出し、及び海岸局、船舶所有者、代理店、付近航行船舶への問合せ等により安否を確認します。

 なお、状況によっては、捜索救助活動に入ることもありますので、位置通報、最終通報は確実に通報してください。

海上保安庁HPより


トラブルその3

「二度あることは三度ある」のことわざ通り、三度目のトラブルに往路の最終段階で見舞われた。暗闇の中、慎重に港内に入り停泊場所を探しているとき、エンジンの出力の調整が出来なくなってしまった。そのために、船体は7m/s前後の風に押されて船揚場のスロープに吹き寄せられてしまった。

キールがスロープに乗り上げ、船首を岸壁側に向けて船体がスロープ側に傾斜した状態となった。

幸い岸壁には近く乗り移ることが出来たので、船首と船尾からロープをとり繋留することができた。船尾から斜め方向にとったロープをウインチで巻いたが船首が岸壁に押されるばかりで船体はスロープから離れなかった。

エンジンをチェックするとアクセルレバーのピンが外れリモコンワィヤーとのリンクが離れていた、針金で応急修理を行い後進で出力を上げられるようになった。

そこで、後進をかけて船体が岸壁から離れるようにした状態で船尾に斜めにとったロープをウインチで巻き上げているとゴツンと音がしてキールがスロープから離れ、その後は順調に船体を岸壁に引き寄せることができた。

船体を岸壁に繋留し終わって一息ついたときは22:00を回っていた、19:00頃に入港したので約3時間トラブル対策に奮闘したことになる。

もしも、このトラブルが港の入り口で発生していたら船体は防波堤のテトラポットに打ち付けられて破壊されていたであろうとぞっとした、真に不幸中の幸いであった、リンクのピンが外れると云う小さなトラブルが致命的な結果を招くことになる、特にエンジン周りのトラブルを発生させないよう日ごろのメンテナンスが重要であることを再認識させられた。

八重根漁港(東京都HPより)

吹き寄せられた船揚場のスロープ


八丈島

「鳥もかよわぬ」とうたわれ、江戸時代は流人の島であった八丈島は現在「花と緑と温泉の島」と銘打った、亜熱帯植物が自然のままに茂る黒潮に浮かぶ観光の島となっている。東京都であり、羽田からジェットで45分、船旅で一夜の旅程で到着する。

 

八丈島歴史民族資料館を訪れ、八丈島に縄文遺跡があることを知り驚いた。

 

遺跡が発見されたのは1960年代で、それまでは八丈島には先史時代の文化も南方古文化の影響も存在しないというのが学会の通説であった。湯浜(ゆばま)遺跡と倉輪(くらわ)遺跡が接近して発見されている。

湯浜遺跡は約6~7千年前の縄文時代早期または前期のものであることが分かっている。発見された遺物から北からの文化の流れと南太平洋地域との文化の接触をうかがわせるとされている。

倉輪遺跡は約5千年前の縄文前期終末~中期初頭のもので、遺物から倉輪人は西関東、中部東海地方と密接な関係にあり、遠くは近畿、南西諸島、日本海沿岸地域とも関わっていたことがわかってきた。(八丈島歴史民俗館 資料解説No7より)

縄文時代の日本にオーストロネシア系文化(日本の遥か南に広がる台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ニューギニア、太平洋に広がるミクロネシア、メラネシア、ポリネシアなどの広大な区域にオーストロネシア語を話す民族が分布している)が及んでいたとする研究者も多くいる。

オーストロネシアの源境は台湾付近であるとする説が有力であり、その文化の広がりには渡海が必然であり陸の狩猟民族や農耕民族に対して海には海人として分類される民族の存在があったとされている。

海人は漁民のように定着して村を構えず、移動を繰り返しながら海に密着した生活をする人々で離れた地域間の交易を担っていた、そして渡海のために必要な造船や航海術の技能を備え発展させてきたとされる。

八丈島の縄文遺跡の遺物から推察して当時生活していた人々はオーストロネシアの源境から遥々と渡海してきた海人ではないだろうか?どのようなルートでどのような船を操って黒潮を乗り越えて航海していたのだろうか?

ヨット乗りの一人として興味津々の問題である。

八重根漁港停泊場所

33°05.961N 139°46.641E

八丈富士


八丈島 Google Earth より

復路

八丈島には8日間滞在したが、天候不順で晴れの日は2日だけで残りは曇りと雨であった、ハワイにも劣らないと言われる景観は残念ながら楽しむことができなかった。ダイビングと温泉めぐりが出来たのを良しとして帰路に着くことにした。

20日は曇り一時雨の天気であったが夕方には日が射してきた、TVの天気図から前線が通過したと判断し、翌日の21日06:00時に出港することにした、所用時間を60時間とすると23日の18:00に串本に入港する計画であった。

21日予定通り出港した、港外でメインセールを上げる準備をしているときに、メインシートのワイヤーの部分が重しとなり、投げ釣りの要領でマストに振られてメインシートが引き抜かれてしまった。

往路での失敗に懲りずに、メインシートの端のエイトノットが解けているのに気付かなかったためである。メインセールを上げることは諦めた、往路ではメインセールを上げる機会がなかったので、結局八丈島往復航海はジブセールのみで行うことになってしまった。

八丈海洋ニュース(5月17日)によると、黒潮は八丈島に接近して流れていて、それを横断するために八丈小島の西を回ると直ぐに進路を315°にとった。黒潮帯を抜け出ることを知るために水温を計測しながら走った。15:50にそれまで23℃前後であった水温が20℃となったので、黒潮を抜けたと判断し串本を目指して進路を278°に転進した。

黒潮の中では波は2m前後であったが、抜けると0.5m程度となりまるで瀬戸内を走っているようであった、3ノット程度しか対地速度が出ない箇所もあったが、大体が5~6ノットの速度が出た順調な航海であった。途中トラブルもなく計画した航海時間より8時間早く、23日の10:00に串本に入港した。


あとがき

やはり黒潮の中は厳しかった、これまでの屋久島、沖縄往復の航海ではたいしたトラブルを経験しなかったが、今回経験したトラブルはかなり深刻であった。ライフラフトの落水未遂事故はこれまでに無い力がかかったことで生じたもので止むを得ない面もあるが、ジブシートのスクリュー巻き込み及び接岸時の操船不能の両トラブルは何れも不注意が発端で招いたもので猛省しなければならない。

 

シングルハンドでトラブルに会うと深刻な事態になる可能性も高く、トラブルから脱出するためには相当の体力を消耗することになるので絶対に起こさないようにしなければならない。

 

八丈島で発生した船底のピンホールからの浸水は船揚場のスロープにキールが接触した際に出来たキール下部のFRPの割れ目および傷から水が入ってきたものであった、帰港後ワールドオーシャンの的確な判断で修復することが出来た。

 

屋久島、沖縄、それに今回の航海を加えると約3000マイル航海したことになる、何れの航海も時間的な制約があったため大部分が機帆走である、この次は帆走主体の気ままな長距離航海をしてみたいと思っている。

 

八丈島では海難救助隊のKさん、釣り船Y丸の船長、アマチュア無線のTさんに大変親切にしていただき感謝している。