No 6 サモア グラフティー

サモアでの2年間(2001年7月~2003年7月)は瞬く間に過ぎ去りました、すでに帰国して1年が経過、本当に月日が飛ぶように過ぎて行きます。歳のことはあまり言いたくはないが60歳を超えてから一段と年月の経過が早くなったような気がする、なんとなく焦りのような感じを覚えることが時々あります、何を何時までにしなければならないというしがらみは全く無いので焦ることは無いはずなのだが何故なのだろうか?

 

サモアでは電力会社の発電所に設置されているディーゼル発電機の保守の指導を行ってきました、赴任時には全く行われていなかった定期整備をマニュアルをベースに実施するところにまで引き上げることが出来、関係者に喜ばれたことは私にとっても大きな喜びでありました。

 

サモア グラフティーと称してサモアでお会いした方々を記録に残しておきます。

 

 

 

右の写真はJICAサモア事務所所長の交代時の送別会に集まったJICAの関係者です。

 

最前列右から4番目が守屋所長、私は最後列の右から3番目です。

(2003年3月)


サモア滞在の日本人

左の人が大変お世話になったJICA事務所のシニアボランティア調整員中川さん、私より6歳年長ですが非常にお元気で活躍されていました。

右の人は私の配属先の電力公社の副社長(現在は社長)。

(2001年8月)

私の任期が終わり帰国する際の送別会にわざわざ集まってくださった方々。

後列右から、勝見、宮尾さんのご主人、私、鈴木。前列右から、石井、関、鍋島。

鍋島さんは青年海外協力隊の調整員、それ以外の方々はシニア海外ボランティアです。(2003年7月)


首都アピアのあるウポル島の人口が約13万人、サバイイ島の人口が約4万人である。

またアピア周辺に4万人が集中して居住している。

そんな関係でサモア滞在の日本人もほとんどがアピアに住んでいる。

私の赴任したサバイイ島には日本人は2~3人だけであった。


数少ないサバイイ島の日本人


青年海外協力隊の山岸さん(右)、獣医として2002年12月まで滞在。

ダイビングを楽しんだのはいい思い出となりました。(2002年10月)

青年海外協力隊の川村(左)と栃原さん(右)。

川村さんは獣医、栃原さんは技術学校の先生として2003年1月から滞在。(2003年7月


サモアの人々


アピアの公園で踊りの練習をしている女性に頼んで撮影させてもらった写真がこれです。サモア人と唄と踊りは切っても切れないものとなっている、何か行事があると必ず踊りになる。サモアの女性の踊りは比較的に優雅なものが多いように思う、タヒチダンスのようにお尻を強烈に振る踊りはあまり見なかった。(2002年6月)

モアで最もお世話になったのがこの人(上の写真)、Palasi Pesaleli、私のカウンターパートでした、発電所の機械整備部門の長で部下からの信頼は絶大であった。

(2003年12月)

妻と3人の子供の5人家族であるがいつも親戚の子供、時には大人が同居している大家族で楽しく生活を送っている。

右の写真の右端が長男、左端が長女、その前が次女、長女の後ろが奥さん、他は親戚とか近所の人達である。

(2002年5月)


結婚式


結婚式には三度招かれ出席した、キリスト教徒なので牧師さんの前で誓いを立てるのは同じだが誓いの場所は教会、ホテルの庭、海岸と三様であった。上の写真は教会で式をしてホテルの庭で披露宴をしたものである。右の写真は花嫁、花婿が踊っているところである、私も呼び出されて踊ったのだが残念ながら写真に撮ることはできなかった。(2002年9月)

葬式


葬式には二度出た、上の写真は発電所の従業員が海で遭難し帰らぬ人となってしまった時のものである。残された子供たちの賛美歌には涙し、参列者全員で歌われる賛美歌は日頃教会で鍛えたものと思われ非常に上手で、事前に練習をするわけでもないのに美しいハーモニーを出すのには感嘆したものである。(2002年11月)

喪服は白シャツに黒ネクタイ、黒のラバラバ(スカート)が正装である。

遺体は焼かずに屋敷の一角に作られた墓場に安置するのが通例である(右端の写真)、首都アピアには集合した墓地があるが他の地域には墓地はない。


誕生パーティ


SAFUA HOTELのオーナー(左の写真の後列中央の女性)の60歳の誕生パーティに招かれた。オーストラリア人と結婚し女4人、男3人の子供をもうけている。この写真の黄色のドレスを着た娘さんは2002年のミスサモアに出場していた、上の写真の二人の娘さんも美人である。このホテルではショーをよくやるので楽しませてもらった。

(2003年12月)

サモアらしい家庭

 

 

 

サモアの伝統的な家は壁のない家である、最近は壁と窓をつけた家もよく見かけるようになったが、この家は四方壁のないサモア伝統の家である、夫婦と子供6人、父、兄弟など12人ほどが同居している大家族なのもサモアの家庭の典型と言える。

子供達の明るく澄んだ瞳が強く印象に残っている。

(2003年7月)


さらば サモアよ また来る日まで

下の写真はは私の宿泊していたSAVAIIAN HOTELの娘さたちと送別の贈り物大きなタパクロス。右の写真は発電所の従業員からの贈り物、酋長になったような気分。(2003年7月)

2年間お世話になりました、次はヨットで行きます。