No 3 2001年1月 フィリピン クルージング

今回は縁があってフィリピンをクルージング中のヨット「遊帆」に乗船さ せていただけることになりセブ島とネグロス島の東側の海域(ミンダナオ 海)をクルージングしてきました。

ヨットQuukayでの航海ではありませんが航海記として掲載いたします。

 

「遊帆」の主人は小畑正憲さん、1998年51歳で仕事を卒業され37フィートの カタマランヨットで自称無計画クルージングを続けられている、現在はネ グロス島の南端にあるBonbonon湾をベースにして活動されている。

その様子はホームページ UFO航海記 で発表されています。 http://n etpassport-wc.netpassport.or.jp/~wufoboat/index.htm

 

私のヨット仲間である家村さんが「遊帆」を主人が日本へ帰国中に拝借す ることになり、私がそれに便乗して今回のクルージングとなりました。

行程

1月7日 関空14:55出発

Cebu18:05到着、Cebu泊

 

1月8日 午前中市内見物午 後家村さんと合流、高速船 でTagbilaran経由でDumag ueteへ、Dumagute泊

 

1月9日 バスでBonbonon の近くの町Siatonへ、バイ クの後ろに乗りバス停から Bonbononへ、11時ごろ到 着

 

1月10日 Bonbononで海水 浴

 

1月11日 6:30出港、Apo 島経由Dauin、リゾートホ テルEL DORADO沖泊

 

1月12日 0:45出港、Tagb ilaran11:00着、リゾート ホテルBohol Tropics泊

 

1月13日 Bohol見物、 夕方家村さんと別れ高 速船でCebuへ 1月14日 Cebu08:20発、 関空13:30帰着


Cebu

関空からセブまでフィリピン航空の直行便が就航しており、約4時間半で行くことが出来ます。国際空 港はセブ市の対岸にあるマクタン島にあり、セブ島とマクタン島は2本の橋でつながっている。 セブ市はフィリピンの南部の経済・文化の中心として発展を続けるており、その歴史は古く「フィリ ピン最古の都市」とも呼ばれている。スペイン国王が西回りで香料諸島に到達する航路を発見するた めの探検隊編成した。その隊長であるポルトガル人のマゼランが1521年4月7日に現在のセブ市に上 陸しフィリピンのスペイン統治の幕開けとなり植民地としての近代化が展開した。マゼランはキリス ト教の布教に熱をあげ、改宗に応じないマクタン島の酋長を襲撃したが戦死してしまった、このとき 出撃した隊員は49人で鉄砲で武装していた、しかし相手は弓矢しかなかったが1500人以上だったの で負けてしまった。隊長を失った探検隊はその後も航海を続け、香料諸島であるマルーコに到達し香 料を入手しインド洋を無寄港横断し喜望峰を回航してスペインに帰着した。これが1519年8月に出発 し1522年9月に帰港した3年1ヶ月の史上初の世界一周航海である。100トン程度の帆船5隻で出発し帰 港したのは1隻のみで乗組員は18名しか残っていなかったという過酷な探検であった。 このころ日本は戦国時代で豊臣秀吉が生まれる15年前である、またポルトガル人により鉄砲が種子島 に伝来したのは1543年であるからマゼランがセブに上陸してから22年後である。 セブでの第一夜はマクタン島の「セブ・マリン・ビーチ・リゾート」というこじんまりとしたコテー ジタイプの宿屋に宿泊した。ここは出発前にインターネットでアルキカタ・ドッドコムを通して予約 した。翌日家村さんファミリーと正午に高速船乗り場で待ち合わせしていたので、午前中車をチャー ターして駆け足でセブ市内を見物した。これまで2回仕事でマニラに来たことがあるが仕事であった せいかもしれないがフィリピンの印象は治安が悪く物騒な所というイメージであった、しかし今回の 旅行でそのイメージは払拭され「解放感のある南国」に変わった。


マゼランを倒したマクタン島の酋長ラ プラプの像。他国の侵略を阻止した英 雄としてマクタン島に記念碑がある。 

マゼランクロス(十字架)が納められ ている六角堂。セブ市内にある。


マゼランが上陸時に造ったといわれる大 きな木製の十字架でマゼランクロスと呼 ばれている。フィリピンのキリスト教の 第一歩である。現在は国民の80%以上がロ ーマカトリックの信者でアジア随一のキ リスト教国になっている。

セブ市の北の丘陵地帯にビバリー・ヒルズと呼ばれる 中国系の人々が住む高級住宅街がある。そこに老子を 祭っている立派な道教寺院がある。写真は小雨が降っ ている時に撮ったので色合いが悪いが現物は赤と緑の 中国風極彩色で彩られた派手な建物である。中国系の 人々の経済力を見せ付けているように思える。


家村ファミリー

今回お世話になった家村さん一家です 。主人はヨットの修理・販売を一人で 切り回しておられる、修理の腕前は一 級品です。奥さんはマニラ子で英語は ペラペラご主人の海外進出をよくサポ ートされている。ご子息ジュン君は小 学校4年生、今回の旅行は3学期に入っ たところで休むことになり、先生に帰 ってきたら旅行の様子を発表するよう に申し渡され一生懸命日記をつけてい ました。

家村さんの会社名:イエムラヨットワ ークス

TEL:0775-74-0390

FAX:0755-73-6466

E-Mail:papalagi@crocus.ocn.ne.j p


BONBONON

BONBONONはネグロス島の南端 に位置しており、外海と狭い水 路でつながっている広い水面が ある。水面は大きな湖のようで アンカリングの場所として最適 である。周囲には人家はまばら で治安もよく、訪れたときには 20隻程度のヨットが漂泊してい た。この地は台風が来ることも ないので安心して停泊させてお くことができるため停泊中のヨ ットの半数はオーナーが帰国し て留守という状況である。係留 費用が不要なので数年に渡りこ こに停泊しているヨットもあり ヨット乗りにとっては天国のよ うな場所である。

地元の若夫婦が作った 竹製の桟橋兼住居兼食 堂があり、ここに停泊 している全てのヨット マン/ウーマンが世話 になっている。

夜になると桟橋は停泊中のヨットマン/ウー マンが集まり社交場となる。フランス、スコ ットランド、ドイツ、スイス、スペイン、オ ーストラリア等から来ており、元気なゴール デンエージのヨットマンが目立った。訪問時 は日本人は我々だけであった。

拝借した37フィートカタマラン「遊帆


数年前に日本に立ち寄り家村さんが世話をしたスペイン人のエンリケ氏もここに停泊しており、その案内 で外海に面しているレストランで食事をし、海水浴を楽しんだ。サンゴの破片で出来た白い砂浜とエメラ ルドグリーンの海には我々以外の人影はなく楽園と言ってもよさそうなところである。

我々とエンリケ氏とそのパートナ

水平線に小さく見えるのがAPO島


TAGBILARAN

TAGBILARANはBOHOL島の南西端に位置しており、この島最大の町である。BONBONONからの道中APO 島とネグロス島のDAUINに立ち寄った。APO島ではスノーケリングでサンゴと熱帯魚を楽しむこと ができた。この付近にはダイビングスポットが散在しておりダイバーを目当てとした居心地のよ さそうなリゾートホテルが幾つも見られる。DAUINのEL DORADOやTAGBILARANで宿泊したBOHOL TROPICS RESORT CLUBなどはそれらの一つである、一泊3~6千円程度で宿泊できる。

DAUINではホテルの沖合い約50mに設置されていたブイに舫いを取り船内で宿泊した、防波堤や波 除の設備など全くない所であるが海が穏やかであるので揺れはほとんど無かった。

 

BOHOL島はフィリピンで10番目に大きな島で、島の中央部にあるチョコレート・ヒルが最大の見 所と言われている。TAGBILARANはこじんまりした町であるが大学やハイスクールもあり活気に満 ちている。

1595年に建 てられたフ ィリピン最 古の教会 

B aclayon Ch urch

活気溢れる町の乗 り物としてトライ シクルと呼ばれる サイドカーが活躍 している。

チョコレート・ヒル

高さ30~40mの円錐形の小丘が約1000個地平線の 果てまで続いている。丘はサンゴ礁からできた石 灰岩で出来ていることから、海底が隆起しやわら かい部分が侵食され、硬い部分が残って現状の景 観を作っているものと推察されている。4~6月の 乾季にかけて丘の色が緑からブラウンに変わるこ とからこの名前が付いたそうである。