港名 | 入港 | 出港 | 停泊位置 | |||
月日 | 時刻 | 月日 | 時刻 | 北緯 | 東経 | |
洲本 | 4/26 | 34 20.780 | 134 53.982 | |||
日和佐 | 4/26 | 13:30 | 4/28 | 06:00 | 33 43.732 | 134 32.027 |
室戸岬 | 4/28 | 15:10 | 4/29 | 05:50 | 33 16.077 | 134 09.648 |
下田 | 4/29 | 15:40 | 4/30 | 08:00 | 32 56.560 | 132 53.543 |
土佐清水 | 4/30 | 12:00 | 4/30 | 21:20 | 33 46.746 | 132 57.642 |
宮崎 | 5/01 | 12:40 | 5/02 | 12:30 | 31 55.450 | 131 28.101 |
油津 | 5/02 | 16:30 | 5/03 | 05:30 | 31 34.890 | 131 24.402 |
西之表 | 5/03 | 15:50 | 5/05 | 08:00 | 30 44.056 | 130 59.644 |
宮之浦 | 5/05 | 14:10 | 5/08 | 06:00 | 30 25.801 | 130 34.219 |
硫黄島 | 5/08 | 10:30 | 5/10 | 12:40 | 30 46.835 | 130 16.696 |
泉大津 | 5/13 | 05:00 |
2003年7月にサモアから帰国し艇の整備を行い、それが一段落し季節も良くなったので今回の航海となった。18日間の航海は私の最長航海の記録更新である、また復路の硫黄島から母港泉大津まで無寄港3昼夜連続の一人での航海も初体験である。
往路は昼間航海を行い夜は港に停泊するのを基本にした、なお土佐清水と宮崎の間は距離があるため夜の9時過ぎに出港したので約8時間の夜間航行が入っている。
航海の期間中に前線の通過が3度あった、その都度海上は時化となったので日和佐、西之表、硫黄島港でそれぞれ1日退避し前線の通過を待った。整備で取り付けたTriax UFO Marine TV/FM Radio Antena (129.99 US$)は良く作動しTVの受信状態は良好であり期待通り天気予報を掌握するのに役立った。
今回の航海のハイライトはなんと言っても硫黄島から泉大津までの3昼夜連続の一人での航海である、夜間航行時には緊急時に回避行動に余裕を持たせることを意図して船速を度は昼間に比較して遅くして5ノット以下を保つようにした。整備で取り付けた他船が発したレーダー電波を受信して他船が接近していることを示す警報装置、Collison Avoidance Rader Detector(435 US$)、は夜間航行中にある程度の安心感を与えてくれた。夜間航行中は睡眠を断続的取ることが理想であるが、まだその境地には程遠い状態でありほとんど眠ることはできなかった、昼間の航行中にうつらうつらとして睡眠を補充した。3夜目を船舶の交通量の多い紀伊水道から大阪湾を通過するように設定したのは、この区域は最も馴染があることおよび翌朝には母港に帰り安眠が保証されていることから睡眠なしで徹夜で航海する覚悟をしたものである。
硫黄島で前線の通過を待ち、その後の移動性高気圧の東への移動に合わせて計画した3昼夜の航海は予想通り安泰であった、母港に帰りついたその日の午後には次の前線が来て大阪湾は時化ていた、全くグッドタイミングであった。
次の沖縄往復の航海のステップとして今回の航海は成功であった。
洲本港
日和佐港
室戸岬港
下田港
宮崎サンマリーナ
西之表港
宮之浦港
硫黄島港
日和佐港:日和佐港の奥にある保育所の前の岸壁は遊漁船と思われる船が占有しており外部から来た船の係留スペースは全く無い、保安庁の船と漁船の係船場所のわずかなスペースに係船した。良い港であるが係船スペースが無くなってしまったので今後は寄港地の候補から外さなければならない。
室戸岬港:港湾案内(平成8年3月発行)102ページには表示されていない新しい岸壁が沖防波堤(A)が北向けに延長された内側に完成していて、まだ完全に空いている状態であった。
下田港:四万十川の河口にある、大きいほうの船だまりの貨物船の荷揚げ岸壁に係留させてもらった。
土佐清水港:清水漁港の一番奥(北側)の岸壁に係留、係船スペースは十分あり買い物にも便利な良港である。
宮崎サンマリーナ:十分な空きバースは無いので予約が必要である。
油津港:一番奥(北側)の東側の船だまりに係留した、係船スペースは十分あるが、近くで買い物が出来る店屋はなさそうであった。
宇宙科学技術館
種子島宇宙センター
大崎射場を望む
鉄砲伝来
天文12年(1543)8月25日種子島の南端、門倉岬にポルトガル人を乗せた一隻の明国船が漂着した。14代島主種子島時尭は、彼らが所持していた2挺の鉄砲を大金をはたいて購入し、早速、鉄砲を鍛冶師八板金兵衛清定に、火薬の製法を篠川小四郎に学ばせ、伝来から1年を待たずにして国産化に成功した。その製法は、瞬くうちに大阪の堺、滋賀県の国友へと伝播し大量に作られるようになった。鉄砲の出現によって戦の方法が一変し、全国統一へと進み長い戦国時代は終焉を遂げた。
(鉄砲館パンフレットより引用)
460年前日本の歴史上の大変革の起点となった鉄砲の国産化に成功したここ種子島に宇宙開発の拠点となるロケット発射場があり日本の最先端技術の変革の目となろうとしていることに歴史の巡り合わせのようなものを感じる。
鉄砲伝来から500年後の2043年に種子島が日本の宇宙産業の中心となっていることを期待するのは夢物語であろうか。
この発射場の景色は真に絶景である、世界一美しい射場と称されていることには肯ける。
左の写真で右から中野氏、私、大野氏である。中野、大野氏はハンググライダー、パラグライダーの指導者であるがヨットの魅力に惹かれ種子島唯一のヨットを整備し進水させようとしている。
宮之浦港:屋久島の主港であるが係船スペースが少なくヨットにとっては良い港とは言いがたい、今回は先行していた赤井君が案内してくれてフェリーターミナルの西側にある漁船の船溜りの防波堤の外側に停泊した。この場所は近くに公園、スーパーマーケット、コインランドリーなどがあり便利であり恐らく外来ヨットにとっては最も良い場所であろう、しかし水深は2m程度しかなく、係留スペースも30フィートクラスが2隻横着けすれば一杯である。
上の写真は宮之浦港に入り係船場所にアプローチしているところである、また右の写真は係船を完了しホットしているところで、いずれも赤井君が撮影してくれた、このように自分の写真を撮ることはシングルで航海していると出来ないことなので貴重な写真である。
屋久杉: 樹齢1000年を超えるものを屋久杉、それ以下を小杉と言うそうだ。有名な縄文杉は樹齢7200年とも言われているが科学的測定値では2170年となっている。屋久杉自然館に展示されている切り株の径は1.8mで1660年の年輪が見られる、古墳時代から現代までの時の経過を実感できるものであり、自分の生きてきた63年がなんと儚い時間であるかと云う事を痛感した。 この先の残り少ない時間を大切にしたい。
赤井君
弥生杉 樹齢3000年 白谷雲水峡
千年杉 屋久杉ランド
二代杉 切り株から更新した小杉 白谷雲水峡
大川の滝 日本名滝100選に入っている
日本での初ダイビング
屋久島の海は亜熱帯に属し、温帯と熱帯の両方の魚が見られ、その種類は日本一だそうだ。
サモア・タヒチの熱帯の海しか知らなかった私には様々な海草が美しく映った。
2004/5/7
マリンクラブ カイオロヒア
一湊 タンク下
一湊 お宮前
緑色の海草が新鮮に映った
コブシメ
??? 何かの卵と説明を受けたような気がするが、残念ながら忘れてしまった
針千本
くまのみ
土佐清水で会ったモーターボートのクルーに屋久島に行くなら硫黄島に寄って赤い海を見てくるよう勧められ、立ち寄ることにした。
話の通り、硫黄島港の中は赤い色の海水で満たされており、それが港外に流れでている、これは鉄分を含んだ鉱泉が湧き出ているために生じているもので海水の表層部のみが赤く下層部は透明な海水になっているそうである、このおかげで係留している漁船は船底に貝類が付着しなとのことであった。
鬼界ケ島と呼ばれていたこともあり、噴煙を漂わす荒々しい硫黄岳がそんな雰囲気をかもし出している。
硫黄島は次のHPで紹介されている。http://www2.synapse.ne.jp/m-2000/misima/iouzima.html
赤い海水 この港内から湧き出している
硫黄岳 703m
露天風呂 東温泉
手前から奥に向かって湯が流れ落ちていて中央の溜りが程よい温度
になっている。2度入浴したが何れもただ一人で野趣あふれる南海
の秘湯を独占することとなった。
平家討伐の陰謀を図ったとして平清盛に捕らえられこの島に流刑となりこの地で生涯を終えた俊寛、その8年後には立場が逆になり平家が滅び平家の落人がこの島に流れてきたいう、栄華盛衰の哀れである。